えびす様の像、牡丹の花、自生した木、雀蜂。庭という生態系

庭にえびす様の石像があって、これはとても良いものだ。たぶん年代はそう古くはないのだけれど、まぶたの二重部分とか、薄く開いた唇から歯がこぼれているのとか、けっこう緻密に彫られていて、決して雑に作られたものではないと確信している。ふっくらした頬と体、柔らかい微笑、石だから当たり前だけれど雨の日も風の日もそれらが損なわれることはなく、少しは見習わなければと思う怒りっぽい母であり妻である。

母方の祖父母の住んでいたこの家に引っ越した当初、像の前の水入れは雨が降らない限りカラで、そこにプラスチック製の造花を挿していた。引っ越して数年たった頃から生花をお供えしている。朝に水を換え、えびす様に手を合わせる時間には瞑想のような効果がある。

今朝はえびす様の水入れに手を入れて、藻を指の腹で落としていた。石についた藻のぬめりを触るのは案外気持ちいい。光が射していた。風がやさしかった。少し遠く、牡丹のごく淡いピンク色が八分がた咲いているのに気づいた。幾重にもなっている花弁が綿よりも柔らかい造形を実現する、あの優美な花。支柱を立てておいて良かった。3月のオーバーワークの影響で無為に過ごした感の強い4月だが、自分でも忘れていたもののそういう地味な良いことを行っていたのだった。

庭の南を流れるそばの水路の脇に、自生したナンキンハゼと柳の木があって、細いながらも背の高いそれらを友達のように私は感じている。ナンキンハゼの若葉が大きくなっていることをはっきり私は認めた。若葉が出ていることぐらいは気づいていたのだ。しかし、じりじりするような気持ちを私は抱えていた。存在するのだが目立たない、はっきりしない、というような。自分の焦りとリンクしたようなじりじり感だった。それを今日は静かに詫び。ああ、若葉そだってるね、よかったなあ、と思う。

雀蜂が飛んでいた。羽音ですぐわかる。庭に巣を作られたことが2回、私は彼らの、……今の時期に飛んでいるのは女王蜂だろうから彼女らの熱心な殺戮者になっている。今年は既に庭の樹木には巣作り防止スプレーを散布している。それで気が済まないのだ、庭を飛ぶ個体があれば雀蜂専用の殺虫スプレーを持って執拗に発射する。当たらない高さにいてもかまわない、発射する。それを去年の春と夏ともしかしたら秋までやって、この春もやって、殺虫スプレーは中身が軽くなった。次のスプレーを買う手間(手帳にメモをし、ドラッグストアに行って他の膨大な種類の買うべきものをカゴに詰めながら棚をめぐり、わざわざそのコーナーに行くこと)の面倒を想像すると共に、パフォーマンス的な殺戮未遂への興味がふっと薄くなった。折しも、ポルトガル出身のモラエスという人が大正時代の徳島で暮らした記録の、日本語訳されたとても美しい文章に雀蜂の記述があったのを思い出した。彼らもまた自然の一部、この世界の一部。子どもたちが刺されないように一匹たりとも庭を飛ぶのは許さないという、いかにもいいわけがましいいいわけを捨ててしまってもよい、という気がした。それで私は、羽音の響くにまかせた。

さて我が庭はあちこちで緑が芽吹いている。繁茂しすぎて密林のようだった庭木の大半を、昨年中に根元ちかくで切ってもらった。すっきりしたものの、岩と岩のあいだにツツジを中心に大量の切株が残る今の庭である。私は人間である以上、自分が快適な状態を保つために庭をもとの密林にするわけにいかない。したがって、伐採したツツジその他の樹木の枝が伸びてくる端から折るなり切るなりし、それができない箇所の若葉はむしっていくという闘いが私の庭におけるミッションとなる(子どもたちにもぜひ課したい)。このようなミッションがありながら、庭の芽吹きはありがたい、という矛盾した思いがある。庭に生命があるということ。庭が小さな生態系であること。それらがありがたいことは、たとえ闘う局面があっても、変わりない。

最近ひとつの小説を構想する中で、花畑、という皮肉めいたビジョンが繰り返し頭に浮かんでいる。それは幼時に憧れ、味わえなかった情景の象徴だ。だが今朝かんじた、私は楽園にいる、昔思い描いた花畑と違うのはかまわない、楽園にいる、と。幸せは身近にあることをこういうことばで私は私に説明したのだった。

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