エクスクラメーションマーク!と!いうのは!ビックリ!させるため!のマーク!だ!
最近、“!”を多用した文章を読んだのだが、まあ、読んでいて疲れる、疲れる。
自分に向けて送られたその文章のことで、短く見積もって1日半はたっぷりと気分が落ち込んだ。
向けられていたのは明らかな怒りの感情だった。
怒らなければ語れないことなのかと疑問だったし、怒りを露骨に文章で表現して恥ずかしくないのかというのも疑問だった。
文章中に“!”はあまり使わない方がいいというのが持論である。いいニュアンスでない限り。
いいニュアンスって、例えば、「こんにちは!」とか「ありがとうございます!」とか快活さをアピールするときとかのことだけど。
否定的なニュアンスで“!”を多用すると、受け取る側には、冷静さを欠いているとしか映らない。
中学時代、国語教師に「ビックリマークはどんなときに使う?」という質問をあてられて
とっさに「ビックリしたとき」と答えて笑われ、「強調したいとき」と訂正した記憶がある。
(訂正した記憶は間違いかもしれない。そんな答えを返す賢さはなかったかもしれない)
しかし今回の件で、ビックリマークというのは相手をビックリさせたいとき、動揺させたいときに使うものなんだなとつくづく感じた。
ウィキペディアではビックリマークは感嘆符として紹介されている。
「一般には、感嘆文や注意すべき点に関する命令など、読む相手の注意を集める目的で使用され、普段よりも重要な文章、大きな声で発音されることが好ましい文の最後に終止符(ピリオド)に換えて置かれる」
らしいが、なるほど私の読んだのは「注意すべき点に関する命令」で「大きな声で発音されることが好ましい文」だったのだなと思う。
エクスクラメーションマークと呼ばれることもあるけれど、weblio英和辞典ではexclamationの主な意味として
「(喜び・怒り・驚きなどの)突然の声、絶叫、感嘆、間投詞、感嘆詞、感嘆文、感嘆符」
とあって、これがまたぴったり合致するので納得。あれは確かに、突然発せられた、怒りの声だった。
ぐんなり。
しかし落ち込んでしかたがなかった「気分」なるものも仕事をしたり家事や育児をしたり、要するに時間が経過するうちに改善してくるものである。
そのへん!が!「気分」というもの!の!曖昧さで!
感嘆符!あるいはビックリマーク!あるいはエクスクラメ!エションマー!ク!と!
ちょうど!同じ!ような!ものなのだよ!曖昧さ!という点において!
気分も!ビックリマー!クも!それにこだわりす!ぎなければ!
なんとはな!しにや!り過ごせる!ものではないか!
うーん、やっぱり。“!”は文章中に多用すべきではない。