ひつようなばしょ・1 あくがるるカフェと喫茶店
「必要な場所」と漢字で書けばいいところを、ひらがなで書いてみる。
それらのばしょを、忘れている期間はいくらでも忘れているのだけれど(私の日常、つまり家事や育児や仕事などと一切関わりのない場所なので)、
それでも、気に入りのいくつかのカフェや喫茶店は「空いた時間にはぜひ行きたいばしょ」であり、場合によっては
「現に大きい仕事がきていてこれから時間がぎゅっと濃縮されてどんどん過ぎ去っていくことが容易に予想される、むしろ既にそういう状態に突入していると知っていながら、『今こそ、あそこで過ごしておこう』などと考えて実行しちゃうばしょ」である。
自宅でおいしいものを食べたり飲んだり、それはもちろんすてきだけれど、そのばしょに行って食べ、かつ飲むのとはやはり違う。
居心地のいいカフェや喫茶店で「解放された」と感じるのは、一切の責任がないから。
唯一の責任は、お金を支払うことだけ。それさえ果たすのなら、おいしい飲食も、趣のある調度も、店によっては窓の外ののどかな風景も、気兼ねなく楽しむことができる。
適度にほうっておいてもらえるのもありがたい。
ふだんは忘れていて、いっそそのまま忘れてしまってもいいはずなのに完全には忘れず、ひとたび思い出すと「行こう」と即断してしまうこのばしょに対する気持ちを説明するには、古語の「あくがる」がしっくりくる。
心や魂が体から離れてしまって、なにかにひきつけられてしまう状態。
オーバーワークの長く続いた後の疲れが癒えぬまま迎えた4月の後半、あくがるるままにそんなばしょのひとつに行って、ひとりしずかに食べ、かつ飲んだ。