クワガタ、ゴキブリ、クモ、スズメバチ。屋内と屋外の虫の一覧
近所の水路脇が新しい防草シートで覆われたのが8月下旬だった。
水路への転落を防ぐ目的の白い柵の少し内側、すなわち歩行者の足もとから護岸のそばまでを覆う防草シートは少し光沢のあるビリジアン色したもので、見た目もすっきりしているし非常に良い。
コロナ禍で年3回行われている自治会の草むしりも中止され、業者に依頼して草刈りなどしているとはいえ、雑草のすさまじい繁殖力と成長力を思えば納得の対応である。
住宅街を通る狭い道の端っこを歩く住民たちが、特に小さい子どもなんかが雑草にちくちくされずに済むわけだ。
真新しい防草シートに何とはなしに目を落としながら歩いていると、美しい昆虫がシートの上で頻りに足を動かしているのを見つけた。
目を凝らしてみると、果たして雌のクワガタである。
山間の集落で育った私でもクワガタやカブトムシのような昆虫の王者格の成虫というのはそう多く見たことがない。
微かなときめきを感じた。
それにしても妙な動きをしている。
そっと手を伸ばして捕まえた時に理由はわかった。
あまりにあっけなく私の指につままれた彼女は、薄い絨毯のような防草シートに体をからめとられていたのである。
クワガタの体が無残に壊れないように、細心の注意を払ってゆっくり引っ張ると、やがて絨毯の毛は途中で千切れ、クワガタは防草シートから免れた。
とはいえ、胴にびっしりと緑の毛が絡みつき、これでは重くて飛行も、樹上の歩行もままならないのではと思い、家に持ち帰ってできる範囲でハサミで毛を切ってやった。
細い六本の足を絶え間なく動かすので、不器用な私がそれを切ってしまわないかひやひやした。
通りすがった夫に援助を求めたが、覗き込んで「足を切りそうで怖い」と言われただけですげなく断られた。
子どもたちも大して関心を示さない。こういう機会を情操教育につなげようという己の浅ましさが恨めしい。
結局すべての毛を排除することなど無理で、腹の真ん中から毛の束を不格好なツノのように突き出した彼女を、そっと庭に放した。
さっと飛び立ってくれるのを期待したが、彼女はもそもそとサツキの葉陰に隠れ、それきり姿を現さなかった。
私は追うことをしなかった。
善行を施したともいえないし、恩返しなど到底期待できない。
私は日常的にはやはり虫たちの殺戮者であって、特に(当たり前かもしれないが)ゴキブリ退治には血道を上げている。
殺虫剤にすぐ頼る夫とは対照的に、私は叩き殺すことを信条としている。
潰れるチャバネ野郎(雌かもしれないが)を見ると達成感があり、ゴキブリは害虫であるとか不衛生な昆虫であるとかいう固定観念からくる「自分は正しいことを成した」という思いと共に、殺戮というのは野生の興奮を味わっているのかもしれない。
さぼりがちだがゴキブリホイホイも仕掛けている。
先日、冷蔵庫の裏に置いて長く放置しているホイホイを掃除中に持ち上げてみると、2匹のチャバネに加えて1匹の大きなクモが絶命しているのを確認し、これはクモに少し気の毒だった。
クモは若かりし日は必ず殺していたが、年を重ねて「実はクモは益虫である。害虫を食べてくれるのである」と知って、この家に越してからは一度も殺したことがない。
それにしてもクモは少し多すぎるかな。小さいのなら日に10匹といわず屋内で見ているのではないだろうか。
殺戮者から殺戮される側に転換する危険に瀕しており、しかもそれにまったく気づかなかったということがある。
8月末のことだ。
近所の工事で出入りしている業者さんが、うちの玄関脇のヒイラギの木に直径20センチを超えるスズメバチの巣があることを教えてくれたのである。
枝葉の間に見えた、自然の造形物とも思えぬ流麗なマーブル模様のそれは流麗なだけにいっそう禍々しかった。
この家の所有者は私の母なのでさっそく相談し、かつ、父の仕事上の知り合いでスズメバチの巣の駆除ができる業者がいないか尋ねてみた。
直径20センチ程度に大きくなったスズメバチの巣は素人の手に負えるものではないとネットで読んだからだ。
攻撃を受けた怒れるスズメバチは後から後から巣から出撃し、非常に危険らしい。
あろうことか父は自ら駆除することを選んだ。
田舎者だからなのか仕事柄なのかスズメバチ退治を幾度も経験しているというのだ。
長袖長ズボンに帽子から垂らしたちゃちなネット、「とりあえず全身を覆ってるからまあ大丈夫だろう」という甘さを露呈しているとしか思えないいで立ちで市販のスズメバチ専用殺虫剤を手に立ち向かう父を、万一刺されて倒れた際の保険のため、家の前に停めた車の中で暑さを堪えて母が見守る。
結果は、成功だった(私はタイミングを逃してその様子を見損ねた)。
そこらじゅうに散らばった体を丸めた遺骸(苦悶の様子を生々しく伝えていた)と、かち割った巣を無造作にレジ袋に入れ、外に設置しているゴミバケツに無造作に突っ込んで、両親は帰った。
夕方帰宅した夫は、ゴミバケツを開けると同時に生き残りのハチが飛び出さないか脅えたという。
その後数日、難を逃れたスズメバチが数匹、ヒイラギの木の周りを飛んでいたと夫は言うが、私自身は目にすることのないまま、それも止んだ。
あれほど大きな巣を作るまでに成長していた凶暴な集団に、家族の、そして近所の人のうちの誰も犠牲にならなかったというのは幸運という他ない。
クワガタの恩返しかな、というには時期がちょっとかぶり過ぎている。