午前3時50分、夢とうつつの狭間
昨夜夢を見た。
同級生のお母さんが現れ、同級生のお兄さんと弟が現れ、さらに存在しないはずのもうひとりのきょうだいが現れて(同級生は男・女・男の3人きょうだいの真ん中。同級生本人はなぜか夢に登場しなかった)、彼ら家族の様子を私が眺めている。家族はそろって妙に小さく、マンガでよくあるデフォルメされたような姿だった。
同級生の兄が母に「ジュースを買いに行きたいんだけど」と伝えており、その言い方がなんとなく子どもじみていて、いい大人だろうに不思議なものだと感じていたら、いつの間にか私が買い物に行くことになっていた。
同級生の母が「一週間に○本なくなるんです」と私に言い、その言葉づかいにも妙な印象を受けた。彼女が私に敬語で話すことは、一度もなかったからだ。
千何百何円、と私は考えながら、3本買うか4本買うかわからず戸惑っていた。
現実の世界では、傍らで寝ていた5歳の娘が泣いている。「あせかいた」と言っているのかと思ったら、「あしがいたい」と言っているのだった。いつもの成長痛だ。
布団から縦にはみ出しているのを抱き寄せて、脚のてきとうな部位をさすってやる。内心、少し面倒に感じている。さすったところで痛みがひかないこともわかっている。しかし、さすることで娘が心理的には楽になることもわかっている。
この先は夢かうつつかわからないが、小学校六年生の記憶がよみがえってきた。
平日の夕方、集落で何かの催し物があっていたのだと思う。子どもの姿は私の他になかったので、子ども会のイベントでなかったことは間違いない。お祭り的なものではなく、作業的な集まりでもあっただろうか。今となってはわからないが、大人たちが集まっていた。勤めていた両親に代わって家事と育児をこなしていた祖母がいたかどうかは覚えていない。そもそも私がなぜその場にいたかも、今となってはさっぱりわからない。
そうなった経緯すら思い出せないのだが、私は2歳になるかならないかの女の子の世話を任された。ぼーっとして無口でいかにも気の利かなそうな小学生に2歳児を任せるとは、現代ならちょっと考えられないことかもしれない。
ともあれ、小さな女の子と2人でごく短い時間を過ごしたのである。公民館の前の2、3段ほどの階段を、たぶん手をつないで降りたのだと思う。手をつないでいたかどうかさえ定かでない。ただ、私なら易々と降りる階段を、慎重に、懸命に降りる女児の姿を覚えている。幼い子どもってかわいいんだなと初めて気づいた。
女の子と離れてから、よそのおばあさんから「あんたが恵子ちゃんね」と話しかけられた。そのおばあさんは私と同じ名前の孫を持っており、その孫は成長してとうの昔に集落を出ていた。
「うちの恵子ちゃんは嫁に行っとるよ。あんたが小さか時分は可愛がってやりよった」
そんなことを言われた気がする。
ごく短い記憶なのだが、幼い女の子と過ごしたひと時は、当時いじめにあっていた私を癒してくれたのをうっすら覚えている。そして、かつて同じ年ごろだった私に、もう一人の「恵子ちゃん」が同じように、というかたぶんもっと親密に接してくれたという事実が、ほの明るい喜びとなって布団の中で娘の脚をさする40歳の私の心を照らしていた。たとえ「恵子ちゃん」との交流の一切が記憶になくても、そういうことがあったことが何やらありがたかった。
乳幼児が好きだ。というのは、乳幼児を育てる時期を終えつつある母としての感慨とか郷愁とかだけでなく、これらの記憶にルーツがあるのかもしれない。
もうすぐ目覚ましアラームが鳴る時刻だった。
4時のアラームを止めたらすっかり眠り込んだ娘の傍らにまた潜り込んで2度寝。春眠暁を覚えず、で済ませていいのかわからない。