新年にLaQ楽しむ我が娘 傍らで母、抱負を語る(五・七・五・七・七)
ぼさっとしているうちに誕生日が来て30代が終わって40代になり、さらには2020年が終わって2021年が始まった。
傍らでは5歳の娘がLaQ(ラキュー)で遊んでいる平和な正月。
コロナの勢いが止まらなくて世の中どうなっていくかはなはだ不安なんだけど、まずは目の前のこと。
正月は親族に会った以外に、地味に仕事しました。
それにしても我が娘はなんと可愛いんだろう。別に美人ではないんだけれどNHKの歌舞伎「らくだ」に時折目をやりながら年のわりにでかい手(遺伝なのだが、後に彼女の悩みの種にならぬとも限らない)でピースを組み立てる横顔の可愛らしさよ。
昔っから私は、娘の唇を薔薇のつぼみ(!)に例えてみたりしてるのよ。言う分には自由だから。
「Aの唇は、薔薇のつぼみに異ならない」と大真面目に言っていたら、3学年上の息子がやきもち焼いて「違うよ」とか言っていたものだ。
おかっぱなのがまたいいよね。顔のパーツがちんまりしたやや古風な顔立ちだからすごくはまる。
この子は内弁慶タイプで、外ではおとなしくて家族の前ではけっこうなわがままさんなんだけど、昔は本当におとなしくて手のかからない子だった。1歳半くらいになったら多少暴れるようになったけど、たぶんその頃、彼女を全裸で風呂場に連れて行って、おかっぱを短くしてあげたことがある。純朴な顔立ちが際立つとか、親は一人で悦に入ってじゃきじゃき切っていくのに、娘はじーっとして黙って立ってて。最後にシャワーで髪の毛を流すときに初めて、抗議のようにちょっぴり泣いたのだった。
あの頃のことは詩に書いたりしているのでけっこう覚えている。
しかし、これは今私の傍らにいる娘にしても、今風呂に入っている息子にしても同じなんだけれど、赤ん坊の頃って毎日毎日感動が強くて、今起こっているすべてのことを一生涯忘れないだろう、逐一覚えているだろう、なんならその日の朝から晩まで我が子がどんなことした、こんな表情したなんてことを何ひとつ忘れず覚えているだろう、と本気で思っていたけれど、非常に残念ながらそんなことはないのな。人間って忘れるのな。さみしい。
別に子どもたちのことを書こうというのでなくて、毎日ブログを書くことを去年の途中で目標に立てたのにちっとも守らず、新年ももう二日目だしいい加減に書かなきゃと思って書いたのがこういう文章でございます。
本当は2021年の抱負を書こうと思っていたのよ。私の。
・今年のうちに著書を出版する。
(おっと、大きく出ました)
・ライティングのクライアントを増やす。
(これは現実的目標)
・「こう書いて」と依頼を受けた文章より自分オリジナルの文章で勝負できるようになる。
(さっきの目標とは矛盾しているかもしれないけどまあいいや)
まあこんなところで、娘と風呂でも入ろうー。