40代ライターの家事と執筆と健康。日常と妄想を発信しながら夢を語る2025年日記(1)まずは宣言してみよう 

職業:ライター、40代女性、既婚で子どもあり。夢もあり。【仕事】【創作と発信】【家事】【健康】をテーマに現在地をお知らせしていきます。

【仕事】プロジェクトに関わりたい。「書くだけ」脱出の第一歩は妄想日記から。

私はライターなので、文章を執筆している。取材に行くし打ち合わせなどもあるけれど、書くことが仕事の中心だ。これという専門分野を持たないまま、取材し執筆するという生活を続けてきた。「プロジェクトから関わりたい」という漠然とした希望を2023年末頃から持っている。
これという特別な知識のない私が希望を現実のものとするには? とりあえず妄想から発信することに決めた。今回がその第1弾。粗削りでもたくさん出すのを1年間やってみる。続けるほどに解像度が上がり、現実味を帯びてくることを信じる。思いつきでぽんぽんと書いたことを後で調べるなどして報告していきたい

畳・襖・障子に関わる人を応援するなら

我が家における和室の存在は大きい。和室があってよかったとも思っている。和室の文化は残ってほしいと思う。多少いやらしいことをいえば、インバウンドを魅了する恰好の素材は大切にされて然るべき……(笑)、今後も安定して存続するよう、もっと応援したいと思う。販売する人・施工する人・製造する人・原料を生産する人。そして、購入する人まで。単純化してキャッチコピーにするのなら「いぐさを育てる人から、消費者まで」。なんなら、古くなった畳の処分(廃棄やリサイクル)まで、ひとつのサイクルをトータルで応援したい。
その最初のステップとして「サイクル」を「継続」して発信してみるのはどうか。畳を購入した人(消費者)から遡って、販売者、製造者、生産者まで。「応援したい人」を増やす第一歩になれば。ちゃんと調べたわけではないけれど、畳・襖・障子にポイントを絞り、流通サイクルを網羅して、かつ、継続して発信しているメディアってないのでは。
ちなみに、発信することの最初のハードルは実は「取材を受けてくれる人を探すこと」。探す方法を考えてみた。

  • 消費者 ←例えば、新築の住居に和室を設けた人に取材してみる。でも、そういう人を探すハードルは意外と高い。

  • 施工者 ←それなら施工者に聞いてみよう。取材記事にするといえば、販売者・製造者や生産者、場合によっては消費者を紹介してもらえる展開も期待できる?

  • 販売者 ←ここからスタートするのもあり。

  • 製造者 ←ここからスタートするのもあり。

  • 生産者 ←もちろんここからスタートするのもあり。

ひとつ突破すればあとはするすると流れそうな予感。自由なテーマで書けるメディアで書いてみようかな。

耕作を委託するシステム+移動販売で限界集落に未来は見えるか

限界集落で生活をつなぐ方法を考えてみた。限界集落の耕作放棄地で、手始めに所有者が明らかな箇所から始める。農業の経験と知識のある人を責任者に据える。これは集落の住民でも、もし可能なら行政でもいい。いなか暮らしに漠然とした憧れを抱いている人などが一時的に集落に済んで、責任者の指導のもと実務にあたる。空き家を活用して仮の住まいに(実際に空き家を活用するにはさまざまなハードルがあるのだけれど、それは後日)。
集落に移動販売車がきたら生活がぐっと便利になるのだと思うけれど、世間でそういう例をあまり見ない気がする。わりに合わないのだろうか。

【家事】「いつものサイクル」から少し外れて、新習慣をとり入れる。

業務スーパーにA-PRICE、大容量で購入できる、便利で魅力的なお店があるのにいまいち活用できていない。今住んでいる地域の買い物環境が良く、つい近所のお店で済ませてしまうのも一因かもしれない。まずは2週間に1回程度のペースで、行くことを習慣づけてみようかな。
手帳に書き込んでみるといいですね。「この日はこのお店に行く」だけでなく、「この日は大量に蒸す日」「この日は大量に炒める日」など書いていくと、「行き当たりばったりで家事を済ませていく」スタイルから「計画的に家事を済ませていく」スタイルに脱皮できるかも。※蒸す日・炒める日については前回記事を参照。
ちなみにかつての私は手帳にtodoリストを書くとコンプリートしたくなるタイプだった。長年手帳を使い続けるうちに、「リストの項目を先延ばししたり断念したりしても、たいていのことはどうにかなる」とわかってきた。
この家事の新習慣については尚更ゆるゆるっと向き合っていきたい。「実践しなきゃ」と力まず、「もしできたら、それはそれでいいよね」ぐらいの気持ちで。「無理して実践しない。他の大切な何かを犠牲にしてまで守るべきルールではない。もしこれができなくても、今まで培った経験とノウハウで必ずクリアできるし!」。私は家事が得意な人間ではないけれど、それでもずっと家事をやってきた。経験に裏打ちされた自信って本当に尊い。

【創作と発信】今日のお題:「あなたはこんなガラクタを持って逃げるのですか?」人にとってモノとは何か

今執筆している小説で、現代人のモノとの向き合いかたに疑問を持っている人物が登場する。日用品がどうやって製造されたか知らない。どのような経路で流通しているか知らない。それは地に足のついた生活とはいえない。生活のシステムそのものに疑問があるとまで言い切るその人物を描きたいと思った背景のひとつとして、こんな映像があったなあと思って記録してみた。

通信系大学のある講義で、私はひとりの高齢女性が映し出されるのを見た。遊牧民族の伝統的な暮らしを守っているらしき人であり、美しい民族衣装を身に着けていたが、髪が驚くほど短く、痩せているため女性とすぐにはわからなかった。正直申すと少し異様な印象を受けた。偏見なく情報に接したいと願いながら、私は偏見にまみれた人間のひとりである。
その民族は近隣の民族の襲撃を受け、女性は居住地から逃げざるをえなかった。緊急時に何を持って逃げたかというと、ヤギの乳の保存容器だそうだ。誰かの手作業から成るものと思われるその容器は見た目は非常に美しい。しかし逃亡に必須なものではない。逃亡先でヤギの乳をしぼれるわけではないし、身を守る武器になるわけでもない。なぜそれを持って逃げるかといえば、それが「自分の息子の魂」と見なされているからだという。
またも偏見に満ちたことをいうが、映像を見ながら最初私は呆れた。「自分の息子の魂」を持って逃げたところで、実際に息子が助かるかは別問題ではないか、と思った。もっと直接役に立つものを持って逃げるべきではないか、と。そして、充分な内容ではないにしろ我が家が備えている災害時に持ちだすリュックを思い浮かべてみた。遠い大陸に住む女性がもしこれを見たら何と言うだろうかと考えてみた。
「あなたの大切なモノはこの中のどれですか?」私は答えられない。
「あなたは、こんなガラクタを持って逃げるのですか?」こう問われたら、ぐうの音も出ない。
モノと人との関係は、決して一面から語ることのできるものではないのだ。季節や環境に応じて移動しながら暮らすだけに、きっとすっきりしているであろう彼女の持ち物のすべて。その中で決して置き去りにはできないヤギの乳の保存容器。モノは心の延長であることを再認識させられると共に、彼女の幻に発せられた問いの重さをときどき考えている。

【健康】2月になってようやく収まった胃の不調。この状態をキープできれば

バーを訪れた男性がホステスに40代の体調不良を延々語る。ごく若い頃に読んだ記事を思い出し、40代の体調不良って本当なんだなあと今思う。1月の胃もたれはヘビーだった。1月末に風邪をひき、うやむやのうちに胃もたれを乗り切ったが、風邪は「ふくらはぎのびりびりした痛み」というかつて経験のない症状を連れてきて1週間ほどは気になった。逆流性食道炎を悪化させない正しい姿勢、謎の筋肉痛を招かないための適度な運動で、健康で1年乗り切れますように。

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