【実践編その4】仕事。家事。育児と、そこで直面するもやもやした気持ち。ゲーム感覚でクリアしていく夏休みに。

〈この実験についてざっくり説明します〉仕事や家事をしながら子どもと向き合うとイライラしがち。ニコニコ子育てのために、子どもの帰宅後1時間は子どものために費やし、仕事や、料理など集中力を要する家事にはあてない。なおかつ、実働時間は減らさない! という目標をたてました。11月まで実践します。詳細はこちら→https://note.com/k5writer/n/n14f42ec64ecf
〈私のこと〉フリーランスのライターで4人暮らし(家族は夫と子ども2人)。ほとんどの日、在宅で仕事しています。
〈育児のこと〉夫の在宅する土日は落ち着いて子育てできるため、この実験では夫不在の平日の夕方をターゲットにしています。尚、記事中は第1子:イッシ/第2子:ニシと呼びます。
〈平日のスケジュール〉習い事の関係で、夕食の時間帯が曜日によって変わる我が家。火曜日~金曜日の午後のスケジュールはおおまかに説明すればこんな感じです。~14:30仕事/~15:30料理/~16:00ニシの相手/~16:30イッシの相手/~17:00ニシに(金曜はイッシにも、ついでに自分にも)夕食をとらせる/~19:00夕食・こまごました家事・すきま時間に仕事

夏休み直前の小さな試練

まずは先週(7月15日~21日)の振り返りを。子どもの一方が高熱を出して1週間がスタート。ただの風邪でしたが驚くほど長引いて、夏休み前のまる1週間を休校することに。この流れで、「子どもの帰宅後1時間は子どものために費やす(帰宅前に料理を済ませておく)」をなんとなく実践しなかった、締まりのない1週間になりました。仕事のほうも以下に示すとおり。

今回は1週間分をまとめて報告!

いよいよ第2ステージ突入!(レベルアップしたとかじゃなく夏休みになっただけ)

さてこの実験、7月中旬までの第1ステージ/夏休み期間中の第2ステージ/11月までの第3ステージと実践を発展させていく計画です。「まずはやってみよう」の第1ステージが終わりました。これから始まる第2ステージの進めかた、過去のnote投稿から引用してみますね。

夕方に限らず、「子どものためだけに使う1時間」を確保する。「仕事時間を確保しつつ子どもに多彩な経験をさせる日」も週に1回程度、平日にもうける。また、第1ステージで得られた考察を踏まえて、1日のスケジュールを見直し、夏休み明けの実践に備える。

レベル高い、……と我ながら驚きます。特に2行目の「仕事時間を確保しつつ子どもに多彩な経験をさせる日」は、完全に矛盾しています。子どもに多彩な経験をさせていたら仕事する時間とれませんって。呆れる……(笑)。
ちなみに、この「求めるレベル高すぎて自分でびびる進めかた」のことも忘れて過ごした夏休み初日(7月22日・月)は、宿題のわからないところを質問する子どもたちに、時に優しく、時に厳しく(というか苛立ちながら)教えることで(後者のパターンが多かった)、「なんとなく、1時間は費やしたかなぁ~」というところです。
ちなみに仕事のほうは「忙しい時期が終わって、次の忙しい時期に入る前のひと段落」というタイミングなので、いま手元にあるやるべきことを着実にやりつつ、休息や趣味の時間もちゃんととっていきたいところ。
まあ、なんとかなるだろうと高をくくっていました。

数日で出た結論。やっぱり夏休みは、過酷!

夏休み最初の1週間が終わりつつある今、振り返って感じるのは「夏休みは過酷」ということ。小学生で、そう手がかかる年頃でもないのになぜこうストレスがたまる……?
原因は、当たり前のことながら、ふだんと状況が違うこと。そのために発想そのもの変えて過ごさねばならないこと
ふだん:「子どもがいない時間にどれを済ませておくか」を考える→仕事だけに集中できる時間がある。
夏休み:「子どもがいるけど済ませていかなければならない」と肝に銘じる→仕事だけに集中できる時間はあまりない。
「子どもは宿題に、大人は仕事に集中しよう!」と図書館に行ってみても、二人がかわるがわる質問してくるので、数分単位で中断させられます。進まない、……集中し始めたタイミングで集中力を切られるの正直しんどい。家にいても外にいてもイライラする場面が多く、7月22日~27日の自己評価はこれです。

ついに最低評価を「仕事の進捗」で出しちゃいました。一方、「子どもと過ごした時間」は金曜日以降、ようやく笑顔を見せられる場面が出たため辛うじて「2」。

どうやらストレスの質が変わってきたらしい。親と子、それぞれの変化

乳幼児期より今のほうが楽なのか、と問われれば「もちろんそうだ」と答えます。生活全般を援助しなければいけない時期はやはり大変でした。「自分の時間」など考えることすらできなかったはずです。それでいて、「今は楽勝だよね!」と誰かに言われたらムッとしてしまいそう……。
思うに、乳幼児期とはストレスの質が変わっているのです。ころんと寝ている赤ちゃんが手すさびに靴下を脱いだとします。その靴下を床に投げてほったらかしにしているのを見て、「なんで片づけないんだ!」と怒る人はいないでしょう。2歳の子どもに対して「習い事をサボる」とか「ちっともお手伝いをしない」と叱ったりもしないですよね。
「子どもには○○であってほしい」「子どもが〇〇してくれたらいいのに」という親の側の要望は具体的になり、かつ難易度が上がっています。一方、子どもは自我が発達して親を批判的に見る目も育っているし、「自分の考えは違う」「自分はこうしたい」と主張する場面も増えているはずです。「子育て楽勝!」ではない原因はこのあたりにありそうですね。

「子どもに多彩な経験をさせる」の「多彩」とは何か、具体的に考えてみた

乳幼児期と今と非常に似ているのが、お出かけする時は「えい、やー」の気合が必要ということ。赤ちゃん時代のお出かけは、おむつやおしりふきなど必須携行品が多くて大変でしたが、ある意味「問答無用」で外出することができました。「今日、育児サークルあるけど、行く?」などと尋ねる必要はなく、自分が行きたければ出かけられたのです。「今だ、それっ!」の気合は必要だったけれど。
今は、子どもの意思を確認することが不可欠。我が子は数年前にはもう「幼児」ではなくなっていたので、子どもの意思を確認するという作業自体は数年前からずっと実施してきたわけですが、「フェーズが変わったな」と実感します。チラシやホームページ見て「これ行こうよ」と言っても「うーん」と答えることが以前より増えました。数年前は「〇〇もあるし、○○も楽しそうだよ! これ行ったほうがいいよ」と説明すれば「行く!」と返ってきたところ、今はそう簡単でなくなったというか(笑)。心に響かないとか違和感があるとか、そういう自分の心の機微に敏感になり、複雑さを増してきた子どもたちです。だからこそ出かけるにはやっぱり、気合が必要。
この夏休み(まだ始まって数日だけど)に多用しているお出かけ前のフレーズは「家にいてもどうせ動画見るだけやろ? それよりは外に出て経験したほうがいいよ!」。我ながら、いかがなものかと思います……(苦笑)。ポジティブなようで、全然ポジティブでない。
家にこもりっぱなしでは辛いから、お出かけは適度にしたいものです。この実験の進め方でも「多彩な経験をさせる」ことを掲げたし。とはいえ、外出しなければ多彩な経験ができないわけでもないはず。家にいる時間は動画やゲームを楽しんでもいいんだけど、時間があるからこそできることをほんの少しでもしてほしい。お絵描きでも工作でも何でもいいから。つまらないことでいいから、動画以外の時間の使いかたを知ってほしい。

譲れない部分とそれ以外は区別して、譲れる部分は積極的にスルーを

我が子に対してずっと抱えているモヤモヤは「なぜ動画ばかり見る?」ということ。「多分、気にし過ぎなんだろうな。現代っ子はほとんどそうだろうし」という現実的な諦めもあります。でもこれについては、子どもの側の問題という以上に私の側の問題として、一度しっかり向き合ってみたいと思います。何がそんなに腹が立つのか。どこに違和感があるのか。どういう悪い未来を予測してしまうのか。その根拠は確かなものなのか。など。
とりあえず、これだけは子どもに守らせたいと思ったのは「勉強中はタブレットを見ない。音を出さない」ということ。「今の子どもはふたつのことが同時にできて当たり前っぽいよね」と、違和感をおぼえつつ、なあなあにしてきたところ、「人間の脳が30年そこらでそう変化するか? 関係ない音や映像のそばで集中して勉強できるか?」と思い至りました。そこで「身に着かなくていいならともかく、身に着けたいならタブレットを見ながら・聞きながらの勉強はしないで」と伝えました。伝わっていることを願います。
実験を始めて以来、否応なしに自分と向き合い続ける日々。たまに深刻になってしまうこともあるけれど、ゲーム感覚で少しずつレベルアップし、クリアしていきたいものです。

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