八女と筑後をつなぐ春のイベント 牛島智子とクマ、川嶋克とボツ
2023年春、福岡県八女市と筑後市で開催されたイベントに、近隣のアートファンが集まった。
4月6日から5月7日まで旧八女郡役所(八女市)で開催された「牛島智子 クマのへんしんーガガニ」。
そして4月7日から9日にかけて、羽犬塚駅そばのMEIJIKAN GALLERY CHIGGO(筑後市)で開催された「ねホリはホリdrawing 2023ネン はる『川嶋克写真選 ボツの世界線』」である。
「クマのへんしん」は牛島智子さんが2022年に同じ旧八女郡役所で開催した「トリへのへんしん」の続編だ。クマをモチーフにしたインスタレーション・オブジェ・絵画など、クマだらけの展示。八女和紙でつくられたクマのかぶりものでクマに変身できる。歴史ある建物が児童遊園のような空間になった。
「ねホリはホリdrawing」(以下、『ねホは』)は2021年から続いている短期間のアーティスト・イン・レジデンス企画だ。牛島さんがゲストを呼んでアートホテルMEIJIKANで時間と空間を共有する。今回は写真家の川嶋克(かわしま かつみ)さんを招き、写真展が開催された。あえて「ボツ」写真を展示することで、見る者の感覚を揺らがせることに成功している。
「ねホは」の期間中、アーティストたちは「クマのへんしん」会場とその周辺で撮影を行っていた。川嶋さんがカメラをまわし、参加メンバーの姿を八女の空気や光と共に撮り込んだ。後日の公開が期待される。
「ねホは」会場では昨年の「トリへのへんしん」の映像が公開された他、ホルン演奏ありコンテンポラリーダンスありトークイベントあり。八女市と筑後市にまたがるアートイベントは、来年までつながる。
2023年春のイベント風景の断片をここで紹介したい。「クマのへんしん」会場で知ったこと、「ねホは」の会場で聞いた話、その他さまざまな情報をパッチワークのようにつなげながらレポートする。
「牛島智子 クマのへんしんーガガニ」
明治20年代に建てられ、改修を経た現在は市民主催の様々なイベントが開催されている旧八女郡役所。「クマのへんしん」が開催されたのは「大きなホール」と呼ばれる広い空間。顔を上げれば太い梁が重層的に組まれているのが確認できる。現代では使われていない素材のガラスを通じて差し込む自然光。この特殊な空間は、美術作家にどのようなインスピレーションを与えただろう。
2022年の「トリへのへんしん」を今年「クマのへんしん」で引継ぎ、来年は「クジラへんしん」で締めるという、3か年計画の展示。第1弾の「トリへのへんしん」は牛島さんがお孫さんと遊ぶ中で浮かんだアイデアだという。幼い子の大好きな「変身あそび」である。そして「クマ」「クジラ」は牛島さんが追いかけている題材のひとつである。古来、クマは山の神、クジラは海の神とされてきた。牛島さんが格闘しているのは山の神・海の神にはさまれた日本列島なのだ。「トリへのへんしん」で日本列島を俯瞰した後は「クマ」で地上の視点に転換し、さらには「クジラ」で海からの視点になるということだろう。
今回は「クマ」だけに竹製の熊手(クマデ)も会場のあちらこちらに並ぶ。牛島さんは和紙で包んで「八女ならでは」を出した上で、和紙に絵を描き鈴をぶら下げて、熊手を持ち上げれば音を楽しめるなど工夫を凝らした。
市販されているクマの絵本や小さなオブジェも会場を彩る。展示初日に子連れで鑑賞したが、子どもたちはクマに変身し、熊手を振り、さらには牛島さんの作品および市販のオブジェで何頭のクマがいるのか数えるのに夢中になった(ちなみに数えた結果はぴったり40頭。果たして合っていただろうか)。
それにしても、鈴とともに熊手に吊り下げられている和紙のボールはなんだろう。そこに「氷」「H₂O」など記されているのは。
ヒントは例えばこの作品に込められている。縫い合わせた布の上に一見奔放に書かれた文字を追うと、「凍土がね 氷がね 水になったよ」というメッセージが読みとれる。
地球温暖化を指しているのだ。温暖化で凍土や氷が溶けて水になった時、最初に困るのはなにものか、と考えて思い当たるのは、自然と直接向き合う動物たちである。例えば、氷が溶けて生活圏を脅かされるホッキョクグマ。日本国内に生息するクマも、温暖化の影響による植生の変化で食べ物の確保が困難になっていると聞く。「クマのへんしん」でクマに「変身」する楽しさを味わったら、次は本物のクマに向けて何らかの「返信」をする必要があるということか。重い課題である。童心に帰る単純な楽しさの中にメッセージが込められている。
ちなみに今回のタイトルに入る「ガガニ」という言葉は何か。カニの種類かと錯覚しそうになるが、旧八女郡役所内に展示されていた答えはこれである。
「凍土ガね 氷ガね 水ニなったよ」
助詞を切り取ってつなげるという「まさか」の発想。重いメッセージを込めながら息苦しさを感じさせないのは、表現手段の軽やかさにあるだろう。さて、来年の「クジラへんしん」では「爆発」をキーワードに想定しているという。何の爆発か。想像しながら来年を待ちたい。
ねホリはホリdrawing 2023ネン はる「川嶋克写真選 ボツの世界線」
写真家の川嶋克さんが大阪から招かれた今回の「ねホは」。川嶋さんは福岡県飯塚市出身、大分県日田市でカメラを修養して「川嶋克写真事務所」を設立後、大阪に拠点を移した川嶋さんにとっては、「九州への一時帰宅」のような感覚があるいはあったかもしれない。
牛島さんと川嶋さんは2021年頃からのつき合いで、昨年の旧八女郡役所「トリへのへんしん」でも協働している。今回の「クマのへんしん」及び「ねホは」開催にあたって牛島さんには「川嶋さん、来てくれるかな」という懸念があった。川嶋さんが大阪で多忙そうな様子を知っていたからだ。「ここは逃しちゃいかん、今年やっちゃえ、と思って大阪から呼んだ。無理強いだった」と冗談めかす。
こうして実現した「ねホは」の初日(4月7日)の晩にはオープニングパーティが開催されてパフォーマンスや映像が披露された。最終日(4月9日)の「ねホは」恒例トークイベントは牛島さん・川嶋さんに加えて、牛島さんの展示を10年にわたって撮り続けている長野聡史さんが参加する「鼎談」。なんとも内容の濃い「ねホは」だったが、ここでは川嶋さんの展示に話題を絞る。
白い壁に並んだ作品は、写真展の常識的な姿から少しずれている。撮り手の技術の高さはわかる。それでいて、首を傾げてしまうようなものばかり。なぜこの表情? なぜこのポーズ? 撮るつもりのないものが写り込んでいたり、公の場に出すのがはばかられるような被写体だったり。「ボツ」を集めた写真展なのだ。
撮影の途中で一瞬気がゆるんだ着付け師範がこぼした、コミカルな表情。逆に、自然な姿を撮りたかったのに撮れなかったケースもある。カウンターの奥で両手をあげ派手にポーズを決める飲食店スタッフの姿。撮られた側は、よかれと思ってやっているらしいのが笑いを誘う。師範とスタッフ、どちらの写真にも人間臭さがふわりと漂う。
なるほど商業写真は美しい。洗練されている。しかしそれらはいずれも、撮られる側の「理想的な姿」を収めたものだ。「自然な姿を撮る」という決意で撮影された写真でさえ、選別の台で勝者となるのはやはり「絵になる」ほうだろう。私たちが日頃接している情報には、実はそうした作為が反映されている。
採用された写真とボツになった写真を並べてみた時、採用された写真のほうが常に価値が高いと果たしていえるだろうか。簡単には答えられない。
川嶋さんは2021年に由布院駅アートホールで「川嶋克写真展《煙草をやめる》」を開催した。禁煙を強いる社会の圧力、「健康という名の正義」への違和感を出発点とした展示。たくさんの人との出会いがあり、「次もやりたい」と強く思ったという。とはいえ、個展を開催するには並々ならぬパワーがいる。踏み出せずにいたところ、牛島さんから今回の「ねホは」の話があった。
うれしいことはもちろんだったが、仕事で撮った写真はともかく、作品として撮ったものがたまっていない。それでも「来場者に楽しんでもらえる展示を」と考えたとき、浮かんだのが「ボツ」だった。
「クライアントワークで撮った写真100枚のうち採用するのは3、4枚ほどで、他はボツになる」と川嶋さんは言う。SNSに投稿することもなく、文字どおり日の目を浴びない。しかし、本当におもしろい写真や奇跡的な瞬間を収めた写真はボツの中にこそある。そう直感して「ボツの世界線」というテーマで写真を選んだ。「ねホは」開催にあたって川嶋さんが寄せた文章には次のようにつづられている。
“どこかで、《写真》というモノには良いも悪いもすべて含めて、「この世界を説明する権利をもっているはずだ」とも考えていました。記憶の奥底に仕舞い込んでしまった美しい《ボツ》たちにも、人を動かすことのできる世界線が、この世に存在することを願って。”【ねホリはホリdrawing 2023ネン はる「川嶋克写真選 ボツの世界線」チラシより一部を引用】
展示を通じて、「『いいボツなんだな』と自分を肯定する気持ちになれた」と川嶋さんは語る。アーティストが自らを振り返る契機となった展示は、鑑賞する側にも「当たり前」という感覚を揺さぶるという影響を与えた。
会場では「ねホは」おなじみ、牛島さんのろうそくの絵が販売され(『ろうそく納屋プロジェクト』。詳細はこの記事の末尾を参照)、下の写真のとおり外からも目を引くポップも牛島さんのお手製。見事なコラボが実現していた。
(初出:potari アートな気分でさんぽしよう)