体の中心にマグマがあるなら

株式会社宣伝会議の「編集者・ライター養成講座 総合コース」を受講して4カ月になる。残り2ヶ月を切った。7月半ば締め切りの卒業制作にも取り組んでいる人もいるようだし、講座はいよいよ佳境に入った。

「佳境に入った」というのは、表現として正しくないかもしれない。というのも、この講座は特定のテーマについて1人の講師が2時間1コマ講義する形式をとっており、毎週土曜日に2コマずつ開催される講義はほぼ毎回、講師が違う(原稿を実際に作成してみるトレーニングなど1人の講師が3-4回講義を行う例外もある)。

「1人の講師についてずっと学ぶうちにひとつの大きなストーリーに飲まれた気になって『おお、この講師の話も深みを増して盛り上がってきたね』と感じたのなら『佳境に入った』と表現していいのかもしれないけど、毎回講師が違って、ほとんどすべてのコマが独立しているのなら『佳境に入った』という表現は違うんじゃないの」

と私の中のマインドBも言っている。いや、でも、佳境に入ったんだよ、佳境を迎えたんだよ。

本日の山田ズーニー氏の4時間通した(つまり2コマ通した)トレーニングは、多くの受講生が感銘を受けたのではないかと推察する。なにぶんZoom開催なので「会場の雰囲気も盛り上がって…!」などと表現できるはずもないのだが、非常に熱量の高い、勇気づけられる内容で、講義の締め・自分が書いた原稿を発表する時間では(時間の制約で全員が発表できたわけではなかった。私も発表しなかったうちの1人)、

「この人は自分を正直にさらけ出している。そういった姿、そういった言葉にはかくも心を揺さぶられるものなのか」

という感慨を、発表者のうちの1人の例外もなく抱いた。

大げさすぎ? 宗教セミナーに行った感想っぽくて怪しげ? でもそれが本当なのだ。

だから、6ヶ月に及ぶこの講座も佳境に入ったな、と私は感じたのだ。企画や執筆・取材の技術を学びながらときに悩み、迷ってきたであろう受講生たちが、いよいよ自分自身と向き合い、自分だけにできる表現に向かう段階に入った。

地方在住の私はZoomでしか参加したことがないし、他の受講者と直接会ったことは一度もない。でも、受講者で作ったLINEグループのやりとりを通じて、私と同じように表現の欲求を持っていることはもちろん、私と同じように悩んでいる人が受講者の中にいることを実感してきた。

どの講義もとてもおもしろく刺激的な上に「今日から実践できる」内容を多く含んでいた。ひとことでいってたいへん勉強になるのだが、自分の「できなさ」に直面して凹むことも多かった。むしろ凹まないことのほうが少なかった。一時期は孤独感も増したのだが、オンライン上とはいえ他の受講者と交流できたことで、「悩んでいるのは私だけじゃない」ということに気づかされた。

学びながら、ときに悩んでいた受講生たち。そこに本日のトレーニングである(詳しいことはいえないので、内容が気になる人は本講座の夏コースを受講してください)。自分をとことん追求する過程、そして山田ズーニー氏の力強いことばに励まされたのは私だけではないようで、あ、この人も、この人もそうだ、ということを発表者の姿に感じたのだった。PC画面を通じて何もかもがわかるわけではないが、何ひとつわからないわけでもない。映し出される表情を見、声を聞きながら感じるのは、「どいつもこいつも佳境に入ってやがるぜ」みたいな? 無礼な表現はお許しいただきたい。同志としてあえてこういう表現を使わせていただいた。

ずっと悩んでもがいてきたよね、と、受講生の皆さんに心の中で呼びかける。一所懸命考えた企画の凡庸さを思い知らされたり、文章技術の未熟さを指摘されたりしたよね。それでも、自分という土台があるから。自分の土台は、懸命に生きる過程で、他ならぬ自分自身が意識的あるいは無意識に作り上げてきたものだから、そこは認めて、腹くくって、進んでいきたいよね。そして、その自分は、今まで自分が認識しているよりずっと頼れる存在なんだよね。それがわかったことが今日の一番の財産だ。よ、ね。

私自身は、講義中のワークの中で「これからはとにかく書いて読んでいくしかない。卒業制作もだけど、卒業制作が終わってからも自分で企画してとにかく書いて、お金にならなくても書いて、そして読んで勉強していく。それしかないと思っている」ということを話した。人間というのはあまり斜に構えて、冷めたふりしてばかり生きてはいられないものだ。言ったからには実践していくしかない。私のライター生活も佳境に入った。少なくとも新しい局面を迎えつつある。

表現の欲求を強く抱える人間は誰でも体の中にマグマがある。あるなら放出させるしかない。

 

 

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