女性がしばしば無視される世界でも、子どもたちには伝えることを伝えよう・1

たまにFAXを送る機会がある。うちにはFAXがないから、最寄りのコンビニに行くことになる。

たった6枚の送信だが、高画質での送信を選択したこともあって、そこそこの待ち時間があった。待ち時間といっても数分なのだろうが、こういう時間に心置きなくぼうっとできる人は一種の特殊能力を持っているのであって、たいていの人は手持ち無沙汰を感じるはずだ。私もその一人。立ち読みでもしたい。すぐそばにある雑誌に手を伸ばし、……で、どれを読めばいい?

すぐそこに並んでいるのは成人男性向けの週刊誌・月刊誌ばかりで、ひとつの例外もなく水着グラビアが表紙を飾っている。画像だけでなく文字も奮っていて、「美乳」「エロ」なんて単語はまだいいほう。見たそのままをこの場(ブログ)で再現していいものかどうか躊躇するような言葉が躍っている(躊躇した結果、再現するのはやめておいた)。

コンビニの雑誌は、マルチコピー機の処理待ちの客に立ち読みしてもらうために陳列されているのでないことぐらいわかっている。でも、これって少し男女不平等じゃないかあ…と思わざるをえない。店舗側が立ち読みを推奨しているわけではないこと、百も承知の上で繰り返す。女性は無視なのか。

前にも似たようなことがあったなと記憶を辿ってみると、それはコンビニトイレの順番待ちであった。そのときも、雑誌でもめくって時間をつぶしたかったけど、できなかったのだ。そのコンビニでも、十数冊もの雑誌がすぐそこにあるのに、手にとって開きたくなるようなものがひとつもなかった。

私が男性に生まれていて、かつ女性の水着姿や女性の性に関する情報に関心がある人間だったら、コンビニの中でひとり突っ立って時間をつぶさねばならぬ状況で、間違いなくすぐそばの雑誌に手を伸ばしていた……いや、もうひとつ条件があるか。「人前で水着グラビアを眺めることに躊躇のない人間だったら」だ。

私は男性が女性の水着なり裸なりの写真を眺めること自体は否定しない。合法的な過程で製作されており合法的に販売されているものなら、いくらでも眺めればいいだろう。でも、老若男女訪れるコンビニ、ときに子どもの避難場所にすらなるコンビニに、「その手」のものがずらっと並んでいるというものはいかがなものか。

かつて読んだジェンダー関連の本で、半裸の女性の写真が電車の中吊り広告を飾っているのは、この社会で女性の存在が無視されている証しだといったことが書いてあった。本屋やコンビニで「その手」の商品が堂々と売られていることも。海外から訪れる女性たちに衝撃を与えるらしいこの現象。欧米の女性などは、彼女らの夫や恋人が「もっとすごいもの」を見ていることを知らないのだという。向こうの男性が「その手」の商品を入手するルートはもっと密やかなものだからだ。

欧米の女性が「知らない」ことはちっとも恥ではないと思う。強制的に「知らされる」日本の女性は、知らされた事柄を批判すれば「ものわかりが悪い、不寛容な女」というレッテルを貼られてしまう。

続く

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