街灯に照らされたぬるい闇と自作小説の入った封筒
ほぼ毎日ブログに投稿し、週1回noteに投稿するはずだった。
それが1ヶ月以上ブログをほったらかしているという体たらく。もちろんnoteには一度も投稿していない。
3月は小説の執筆に夢中だった。文字通り無我夢中で、3月末に応募締め切りの4件のいずれかに間に合わせようと、無茶に無茶を重ねた。といっても健康に悪いことはしていません。睡眠時間はしっかり確保し、食事もちゃんととった。無茶をしたのは精神面で「もうだめだ、投げ出したい」と毎日少なくとも三回は思いながら、子どもたちに励まされながらどうにか毎日をつないでいた。
たかが趣味で大げさな、と思われるだろうが、創作って過酷なんですよ。アマチュアでもね。自分の全部を振り絞る感じ。もちろん仕事もやったし、春休みだったから子どもを散歩やサイクリングに連れ出しもした(運動させる目的で、本当に連れ出しただけ。公園でゆっくり遊ぶとかは一切なし。埋め合わせは後でするから、と子どもと自分に約束しながら結局埋め合わせもできずじまい)。
さて、自分の全部を振り絞った結果は、……応募できず。
3月31日の夜に子どもたちを夫に任せて推敲、印刷して朱書き修正してPC打ち込んでまた印刷して、……という作業に熱中。印刷は時間がかかる! 使っているプリンタはCanonの、家庭用としてはそこそこ高性能のやつだけど、140ページ印刷(両面印刷だから枚数は70枚)印刷すると30分は見とかないといけない。印刷途中で用紙が切れて、プリンタから離れて気づかずにいたりすると、本当に時間が無駄になります。さらに用紙詰まりに泣かせられる。
推敲のために印刷するだけならともかく、提出も紙なんですよー。いまどき紙とか、ほんっとに勘弁してほしい(3月末締め切りの新人賞のうち、文藝賞だけはデータ提出が可能だけど、自分には合っていないと判断して選択せず)。
紙提出ということは、郵送ということ。23時半に家を出て、一番大きい郵便局に車で向かう。ふだんは子どもと一緒に21時までには就寝する私が。家を出るだけで緊張。悪いことしている気分。近所の人に「あの奥さん深夜に外出して」とか言われないかしら。という世間体的なことだけでなく、深夜に外出するというシチュエーションだけで緊張。24時近い闇は同じ闇でも違う。気がする。勤めを辞めたからこんな時間まで仕事をすることもないし、飲み会ともご無沙汰している(あっ、この点は人間としてまずいかな。密な人づきあいができていない証左かも。コロナでどのみち飲み会は無理だけど)。かなり久しぶりな、深い闇。
嘘、嘘、闇なんて嘘ですよ。普通に街灯ついているもん。車はもちろん、歩行者も見るし、自転車で走っている人もいる。この人はこんな時間に何を? スーツではない。学生でもなさそう。職場の制服から私服に戻って帰宅している途中? あるいは逆に通勤中? と興味をそそられつつ、緊張感をもって運転。事故は絶対に避けたい。
目的の郵便局が電灯で明るく照らされていて、大絶賛営業中であることを確認。駐車して、時間外窓口をやっているはずの自動ドアに近づくと、屋内に立て看板。「コロナウィルス感染拡大防止のため、受付時間を短縮しております。本日の受付は終了しました」(うろ覚えを再現したもの)。
あっ、そっか~。意外と気分はあっさりしたものだった。そもそもこの小説は構想こそ半年以上も前に練り始めたけど、2月末に構成を大幅に見直し、推敲の時間が十分にとれないどころか「そもそも完成させられるのか」と大いに不安を感じながら執筆していた。前述のとおり精神的な限界を何度も超えて完成させた結末がこういうのも、なんかおもしろいじゃない。ちょっと笑えるじゃない。という感覚。
翌日になると修正したい箇所や掘り下げられていない箇所が気になり出して、もうしばらく今取り組んでいる作品とつき合うことになりそうです。
ていうかさ、今日ブログにこういうこと書くつもりじゃなかったんだけどな。小説の執筆以外に、ライターとしてやることが山積みなわけでして、それを書きたかったのに。
とりあえず、ブログは朝イチ投稿することにします。「日中に」とか「夜寝る前に」とかやっていたら実行しない事柄第1位だから。現在の時刻は6時41分。ああ。朝だな。一日が始まるな。深夜のことを書いたら、あたかも夜更かし明けの朝のような感覚です。