話すごとに口から宝石がこぼれ落ちる。おとぎ話や神話の納得できなさと尽きせぬ魅力。
おとぎ話や神話の筋書きに「納得できない」と思いつつも妙にひきつけられるのは、子ども時代への郷愁のせいなのか、それとも長く語り継がれていたお話にはやはりなにがしかの真実が含まれているからなのか。
子育てをしていると自分の子ども時代の記憶がふっと蘇ることがある。おとぎ話なんかも時折思い出す。実家にあった「世界のおとぎ話100」とかいう本に載っていた話、「××を吐く姉妹」もそのひとつ。「××を吐く姉妹」なんてタイトルではないけれど、正確なタイトルを覚えていないのでそうしておく。
あらすじはこうだ。気立ての良い妹娘と意地の悪い姉娘がいて、母は姉娘ばかり可愛がる。妹娘は母と姉のいじめに耐えながら暮らす。やがて妹娘は善行の報いで話すたびに宝石がこぼれ落ちるようになって幸せになり、姉娘は悪行が祟って話すたびに蛙が飛び出すようになって不幸になる、というもの。
記憶があやふやなので検索したところ、「どうもこの話に該当するらしい」というものがいくつか出てきた。
〈仙女に親切にした妹は話すごとにバラの花と宝石が、仙女に邪険な態度をとった姉娘は話すごとに毛虫や毒虫が飛び出すようにされる。母の怒りを買い追い出された妹娘は森で王子様に見初められ結婚。姉娘がどうなったかは不明〉
〈別表④「妖精たち」に該当? 妖精に親切にした妹娘は話すごとに花と宝石が、妖精に邪険な態度をとった姉娘は話すごとに蛇と蛙が出るようになる。母の怒りを買ったことで虐待されそうになり森に逃れた妹娘は王子と出会い結婚。姉娘は結局、母親から家を追い出されて森で野たれ死ぬ。〉
私が子ども時代に読んだ本の挿絵、姉娘が蛙を吐き出す様は強烈で覚えている。
話すたびにこんな大量の蛙が飛び出すんじゃ不幸になるだろう。先に紹介した情報のうち、「妖精たち」では頼みの綱である母親からですら最後は見放され、森で野たれ死ぬというから本当にむごい。母の権威を笠に着て妹娘の優位に立っていた姉娘が母に愛想を尽かされるとは皮肉だ。
でも話すたびに宝石が飛び出すのもどうなのだろう。「仙女」では次のような説明がなされている。
追い出された妹は、ションボリと森へ行きました。
そこへお城の王子さまが、馬に乗って通りかかりました。
「娘さん、泣いたりして、どうしたのですか?」
妹は泣きながら、お母さんの家を出てきた事を話しました、
そう話す妹の口から、バラの花と宝石がポロポロとこぼれます。
それを見た王子さまは妹のことが好きになって、妹をお城に連れて帰りました。
そうして二人は結婚、という運びなんだけど、バラの花と宝石が口からこぼれ落ちるのを見て好きになるというのが王子のひんしゅくポイント。金目のものが目当てなのか?
ま、バラの花が出るなんてロマンチックだよね。宝石が出たら、裕福になれるよね。でも話すごとに出なくてもいいんじゃないかなあ。と思う。「3時間に1回くらいの頻度です」とかならまだいいけれど、話すごとに出ていたら妹娘本人も面倒なのではないだろうか。「女性は控えめで口数が少ないものだから(口数が少ないものであってほしいから)面倒ではない」という意図が裏にあるのだとしたら、幻想の押し付けみたいなものを感じてがっかりする。仮にそういう意図がなかったとしても、2つのことが気になる。
・話すごとにバラの花と宝石がこぼれ落ちることは、妹娘の身体に負担がかからないのか。
・異能の持ち主として気味悪がられることはないのか。
こんなことが気になるのも、異能ゆえに殺された女性の神話について読んだことがあるからだ。私はそれを赤坂憲雄さんの『性食考』(岩波書店)で知った。ハイヌウェレ神話と呼ばれるものだ。『性食考』では『世界神話事典』から引用されているのだが、とりあえず以下に該当箇所を引用する。
さまざまな貴重な宝物を、大便として出すハイヌウェレという名の妙齢の乙女がいて、踊りの間にその宝を人びとに、気前よく分けてやることを続けていた。ところが人びとはしまいにそのことを気味悪く思って、踊りながらハイヌウェレを生き埋めにして殺してしまった。そのあとでハイヌウェレの父親が、娘の死体を掘り出して切り刻み、破片を一つ一つ別の場所に分けて埋めた。するとその破片がそれぞれ種類の違う芋に変わって、そのおかげで人間は、それらの芋を栽培し、食物にして生きていくことができるようになった。
ハイヌウェレの末路を見ると妹娘の未来にも不安を感じざるをえない。宝物の出所が肛門であるか口であるかはあまり問題ではない気がする。どちらにしろ異能だ。
大便が宝物になるとは突飛な話のようにも感じられるが、似たような話は各地にあり、日本でも『古事記』に登場する女神・オホゲツヒメが同書で紹介されている。ただしオホゲツヒメが体から出すのは宝物でなく食材だ。鼻・口・尻から食材を出して料理したのを見たスサノヲが「わざと穢して差し出した」と解釈して怒り、オホゲツヒメは殺されてしまう(肛門・口どちらから出たものも穢れと見なされた)。オホゲツヒメの死体からは蚕・稲種・粟・小豆・麦・大豆がなったという。
神話のスケールの大きさを思う。それにしても「仙女」「妖精たち」で妹娘が口から、ハイヌウェレやオホゲツヒメが肛門から(も)出すという違いは、時代の変遷によるものなのか、場所柄によるものなのか。浅学のためわからないが、おとぎ話や神話はやっぱり面白い。