ひょろっと開いた意識の扉

おとといから風邪ひいてるよ! 業者さんの訪問があって、玄関開けて初めて雪が降っていることに気づいたよ! 洗濯物がびしょ濡れになってたよ!

昨日は昼過ぎから灯油を買いに行ったよ! 急に寒くなったせいか混んでたよ!

今日ディスカウントドラッグストアに行ったら1万6千円も買い物してて、持ち合わせていた現金が足りず(そのお店はキャッシュオンリー)歩いて帰宅してお金をとってきたよ(ATMに行くより近かったため)!

うーん、年の瀬だね。いかにも年の瀬らしい過ごし方。ていうか暇人かよ。

暇人にしか見えませんなあ。仕事を含めて、やること地味にたくさんあるんだけど。風邪で今週は諦めたけど、コンタクトも買いに行きたいし、歯科検診も行きたいし、…このコロナ禍で暢気すぎるか。

それにしても11月頃から「地味な用事」がちょいちょいあってそのために物事が進まないっていうのがけっこう多い。さぼっていたことがどどっとやってきたというか。それは年の瀬と関係ないか。さぼっていたツケに過ぎないか。

今日ドラッグストアで現金が足りなくなるほどに買い物したのも、溜まっていた買い物がどんときたというところだ。買う必要があるものはわりと小まめに手帳にメモしているのだが、なんか今日は店内を巡っているうちにどどどどっと雪崩みたいに新たな買い物リストが意識の彼方から襲ってきて。

最近、洗濯物を干すピンチハンガー(プラスチック製)が壊れたので、ネットでステンレス製を買おうと思っていたところ、意外にもドラッグストアにそれがあったからカゴに入れて、そこからちょっと妙な具合になった。最近あんまり買っていなかった納豆とかヨーグルトも買って。そんなことしていると芋づる式に出てくるんですね、買うべきものと買いたいもの。手帳に書き留めているメモなんか超えて。

納豆だとかヨーグルトだとかを買わずにきたのは、さぼりってほどの話ではないけどさ(食べないなら食べないでいい)、でもそれを「買おう」と思ってしまったところで、潜在意識のどこかが目覚めて「そういえばあれも」「あ、そうそう、これも」みたいになってしまうものらしい。

やるべきこととやらなくていいことの線引きはいつも難しくて、なぜ難しいかというと非常に曖昧だからだ。娘が便秘気味だから納豆もヨーグルトも切らさず、頻繁に食べさせている方がきっといいのだけれど、「ないならないで済む」から買わない。納豆やヨーグルトが便秘解消の唯一の手段ではないし、他に食べるものはいくらでもあるのだから。そういう回避のしかたって、無駄をそぎ落とす賢い方法だと私は思っている。

でも、そうやって無駄を削ってスマートに生きているつもりでも、よくわからない自分自身の意識の網みたいなものにひょろっと引っかかったとき、「やっぱり必要だ」と思って買うし、それに気づいてしまうと網はどんどん広がっていって、しばらく買わずにいたもののあれこれに気づいてしまう。

そんなところだろうか。話が同じところをぐるぐる回っているみたいだけど。

これから大掃除をしたり、年賀状を書いたりしているうちに、意識の扉が開いてやることがさらに出てくるのかな。例えば、後回しにしていたコロナになったときの備えとか、災害時の備えとか。それは四の五の言わずにさっさとやりましょうねという類の案件だ。もっと軽くて、もっとつまらない案件が何か新しく振ってくるかもしれない。それならそれでいいのだけど、そのときになってまた私は、「だから物事が進まない」とか愚痴を言うのかな。とはいえ、11月頃から続いている「物事が思うように進まない」状況に慣れつつあるのも確かだ。

などと、ぼんやり考える年の瀬である。

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