これもまた秋の風物詩。オレンジ色の花、黄色の花
キンモクセイの花の香りは好き嫌いが分かれる。私自身は好きなのだが、臭いと形容する人もいる。
トイレの芳香剤っぽく感じられるらしい。そういわれればそうなのだが、トイレの芳香剤がフローラルな香りを追求した結果キンモクセイっぽい香りの製品が出たというだけで、キンモクセイには罪がない。
甘い香りを放つ明るいオレンジ色の小さな花弁を眺めていると、かつて友人が「菜の花は臭い」と言っていたことを思い出した。
やはりトイレの芳香剤っぽく感じられるのかと問うと、そうではないという。もっとダイレクトに便所臭がするらしいのだ。便器そのものの臭い、ということだろうか。人の感じ方というのはそれぞれだ。強い香りと派手な色味を持ちながら楚々としているキンモクセイに比べ、菜の花は華やかだ。わっと大地を埋め尽くして春たけなわを告げるあの花の無条件の明るさが私は好きなのだけれど、その香りが便所臭に感じられるのであれば好きになれそうにない。
芳香剤や香水など人工の香料が深刻な健康被害を及ぼすケースもあるのだから、自然物の臭いの好き嫌いだって軽視してよい問題ではないのだろう。
先日、自転車で走っていたらセイタカアワダチソウの花が横倒しになっているのをいくつも見た。
登下校中の小学生が面白半分に折ったものではないだろうか。
人の鼻を刺激するような何の臭いも持たないようなセイタカアワダチソウは、大した嫌われ者だ。折った小学生には花に対する悪意などまるでなく、手すさびに折っただけなのだろうが、大人でこの花を好いているという人を私は知らない。
繁殖力が強い厄介な外来種というイメージが定着しているからだろう。もっとも、この外来種も日本の風土に適応し、渡来当初の猛々しさ、つまり在来の植物を駆逐するような凶暴な繁殖力は今はないという記述も読んだことがある。それでもこの花の繁殖力に対する警戒心は消えない。
私が今の家に越して一年半、背丈が一メートルを超えるセイタカアワダチソウがいつの間にか庭に立っているのを見つけたことが二回あり、二回ともすぐに根っこごと引っこ抜いた。一回目は庭の雑草仮置き場に投げ捨てただけだったが、二回目は即座に四つ折りにしてゴミペールに入れた。我が家がセイタカアワダチソウ畑になることは個人的にありがたくないというだけでなく、確実な近所迷惑になる。
とはいえ、好むと好まざるとにかかわらず、セイタカアワダチソウも秋の風物詩なのだな、と思う。身近にあるわかりやすい季節のシンボル、ごくありふれたものこそが風物詩だと思う。その名のとおりせいたかのっぽの花を横倒しに折った小学生にとって、この黄色い花がいかに日常的かということがふと偲ばれるのだ。