コロナ禍の中でも日常が続くことは鳥を見ればわかる

鳩というのはやはりあんまり美しくない鳥だな、と写真を見ながら思う。

でもしかたない。

数日前、この鳩を見て大いに心を癒されたのは確かなのだから。

 

コロナウィルス関連の報道に、

“まさかこんなことになるなんてな”と連日ぼやいている。

東京オリンピックが終わったら景気が冷え込むよね!などと

のんきなことを言っていた頃には予測のつかなかった事態が

次から次へと起こっている。

 

フリーライターと名乗ってはいてもそもそも一人前の収入を稼げていない私は

報道されているようなフリーランスの苦境とは縁がない。

とはいえ、もしこの佐賀で感染者が二ケタ台で増え続けることになれば、

そう余裕をこいてもいられないのではないか。

無収入に転落してしまうのでは……。

だがサラリーマンの夫を持つ自分のことは、まあいい。

 

何をおいても心配なのは飲食店だ。

馴染みのあの店も、あの店も休業をSNSで報告している。

心が寒くなる。

自分の信じていた日常が閉じられていくのを感じる。

支援する動きは起こっており、協力できることは協力したいが、

果たしてどこまで届くのか。

というか、この混沌はいつまで続くのか。

 

世界はすっかり姿を変えてしまった。

こんな表現が現実の何物をも映していないことはわかっている。

それでもそういう観念に否応なく落ち込んでいく自分。

だが、今自分が落ち込むことに何の意味があるだろうか。

落ち込んでみたところでコロナ禍は止まらない。

鳩みたいに餌でも探していろ、というところなのだ。

 

 

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