プラごみをポイ捨てしたりしないもん、ということでなく

海中に漂う、または砂浜のプラスチックやビニールごみを食べることで窒息死するウミガメがいるという。痛ましい話だ。

海にゴミを捨てるなんてけしからん!とかつては思っていた。しかしそう憤る私には、川や海にゴミをポイ捨てしたりしないもん私……といった部外者意識があった。最近になってようやく、「そういう問題ではない」ということに気づいてきた。

プラスチックやビニールの製品がある以上、そのうちのいくらかが漂着ごみとなってウミガメを死なせてしまうのだ。それはきちんと縛った自治体指定のごみ袋の口からなにかの拍子に落ちてしまったごみかもしれない。コンビニで買ったお菓子を屋外で食べている際に、気づかず落としたお菓子のパッケージかもしれない。「ごみをポイ捨てするなんてけしからん」という正義が通用しない、「ごみはきちんとゴミ箱に捨てましょう」という啓発でも限界がある、無意識の領域の話なのだ。

ウミガメを死に至らせる漂流ごみは、プラスチックやビニールの製品がなくならない限り発生し続けるのである。だからといってプラスチック・ビニール製品なしの生活など現状ではありえない。それなら、せめてそういう製品の使用を減らそうよ。そういう話なのだと、最近は理解している。その流れでレジ袋削減などが目指されているのだと。

レジ袋が有料化される流れは歓迎したい。でもそれだけでは不十分だと、日常生活を見てつくづく思う。そもそも日本の生活ではプラスチックやビニールが溢れすぎている。スーパーで売られている商品の多くはプラスチックやビニールで覆われている。卵もスナック菓子もシャンプーも。でもそれらはまだわかる。トイレットペーパーやティッシュペーパーはビニールに覆われて売られている。厚みもあってけっこう立派なビニールだ。こんなの、状況次第では絶対リユースする。

例えば私がこの土地を追われて、知らぬ土地をさまよう身の上になったら、「今しがた中身=トイレットペーパーを取り出したばかりの、破いた穴も小さい、そこそこ厚みのあるビニール袋」を誰かからもらうまたは道端で拾ったとしたら、確実になにかに使う。そう思うほどしっかりした厚みのあるシロモノなのだ。だが購入して家に持ち帰ったが最後、破って捨ててしまう。

スーパーから家に持ち運ぶためだけの用途でこの立派なビニールが作られているのか?というのは、消費者側からだけの偏った見方に過ぎないことはわかっている。トイレットペーパーを商品とするまでの製造過程、運搬過程、……一消費者が知らない、様々な事情があるということも。そもそも剥き出しでうられているトイレットペーパーなど、仮に店頭に並んでいても、この日本では誰も買わないことも。いや、そこだよ、そこ。

プラスチックやビニールで覆われていることこそ安全・安心・清潔の証明であって、そうでなければ商品は売れない。そういう社会にあって、プラスチックやビニールごみを減らす暮らしを目指そうっていっても、個人の努力では限界があるなあ、と思うのだ。こういうのって、別に日本に限ったことではなくて、多くの先進国に共通したことなのかもしれないけど。どこかの会社が環境に優しくプラスチック・ビニールで覆わない新しいスタイルで商品を販売して大ヒットして、他の企業にも波及する。そんな奇跡みたいなことを願うしかないのだろうか。裸一貫で生きているウミガメの知恵を借りたいところだ。

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